top of page

吉池安恵ブログ 第十䞃回

ブログ第十䞃回  幞せに぀いお


幞せずいう蚀葉を聞いお䜕を連想したすか思い浮かべるこずは人それぞれだず思いたすが、私はメヌテルリンクの「青い鳥」ずドむツの詩人カヌル・ブッセの「山の圌方」が浮かびたす。


「青い鳥」の話は䜙りにも有名なのでここであら筋を曞くたでもないずは思いたすが、チルチルずミチルずいう二人の兄効が幞せの青い鳥を探しに旅をする話です。そしお青い鳥は芋぀けおも手に入れるこずは出来ず、疲れ果おた二人が家に戻っおきた時に口にしたのが

「なんだ、あれが僕たちのさがしおいる青い鳥なんだ。僕たちは、ずいぶん遠くたでさがしにいったけど、ほんずうはい぀もここにいたんだ。」

ずいう蚀葉でした。


カヌル・ブッセの詩は

山の圌方   カヌル・ブッセ䜜    䞊田敏蚳


山のあなたの空遠く 「幞(さいはひ)」䜏むず人のいふ。 噫(ああ)、われひずず尋(ず)めゆきお、 涙さしぐみ、かぞりきぬ。 山のあなたになほ遠く 「幞(さいはひ)」䜏むず人のいふ。


ずいうものです。

どちらも幞せは遠くにあるず信じ、遠くたで探しに行っおみたけれど幞せは遠くにはなかった、ずいう内容です。ブッセの詩はそれでも尚もっず遠くあるのかも知れないず思う気持ちも衚しおいたす。


若い時は幞せを求めお地方から郜䌚に出おきたり、倖囜に行ったりするこずが倚くありたす。遠くを芋たい、自分を高めたい積極的な気持ちの珟れです。倢を芋たり、远い求める、珟状を倉えたいず思うのは若者の特暩です。それがなければ䞖の䞭の進歩は生たれないかもしれたせん。でも、そうしおあがいおいる間は幞せを感じるこずは難しいものです。䜕でも枊䞭にあるず芋えないこずが倚いのです。ただ、その時は蟛いこずでも経隓するこずで、振り返った時に芋えおくるものがありたす。「ああ、あの時は幞せだったな」ず感じるこずもありたす。経隓しおいなければ分からない気持です。


私は幎を取っお若い頃を振り返ったずき、そういう思いをするこずがたくさんありたす。受隓勉匷もその最䞭は䜕でこんなこずをず思っおばかりでしたが、老人になった今になっお、「あの時はがんばれたのだな」ず若さの゚ネルギヌを我ながら懐かしく思ったり、子育おの倧倉さも、数々の倱敗も「たあ、今ずなっおは倧したこずではなかった。経隓できおよかった」ず思えたりしたす。

距離ず時間は人に䜙裕を䞎えるのでしょうか党䜓が芋えおくるのです。若い時は未来で、未知の䞖界で䞀杯です。未来は誰にも芋えたせん。そのため䜕かしら䞍安があり、たずえよいこずがあっおも単玔に幞せを感じるこずが出来にくいのです。でも、幎を取るず倧抵のこずは既に終ったこず。結果が芋えおいるのです。芋えない未来は残り少なく、倧抵は過去ばかりなのです。過去は芋えるものです。倉えようのない過去を吊定的に捉え、埌悔にさいなたれる人もいるかも知れたせんが、倚くの人は自分の人生を吊定したくないのが普通です。

フロむドは蚘憶の快楜原則を唱えおいたす。楜しいこず、幞せなこずは蚘憶に残り易いずいうのです。悲惚な経隓をした人も幎長く生きおくるず、その過皋の䞭で嫌な蚘憶を薄れさせる事が倚いようです。そうでなければずおも生きおは来られなかったのかも知れたせん。ですから、若者ず比べ老人は幞せを感じるこずが倚いように思えたす。

䜕が起こっおもあの時ず比べれば倧したこずではないずいう気持もあるのかも知れたせん。


私の母は才で倫を亡くし、苊劎しお子どもを育お䞊げ、その子どもは芪を離れお郜䌚に出おずいうパタヌンで、䞀生䞀人で過ごし、ずおも幞せずは瞁が無い人のように私には思えたした。私は芪䞍幞を絵に描いたような子どもでした。でも、母は晩幎、自分の人生は幞せだったず蚀っおいたした。䜕故幞せだず思うのかず聞いたこずがありたした。母は「䞎えられた人生を自分なりに䞀生懞呜生きおきた誇りがある。子育おも倧倉だったけれど芚えおいるのは楜しいこずばっかり。子どもは成長し、負うた子にはいろんな事を教えお貰った。子どもを通しお芋られなかった䞖界が芋えたし、自分は子どもの幞せに圹にたった。これ以䞊の幞せがあるか」ず逆にきかれおしたいたした。

私は返す蚀葉がありたせんでした。遠くばかり芋お、倢を远っおばかりの私ずは反察に、母は足䞋を芋、身近にある青い鳥を芋぀めおいたのでした。


倢芋がちであがいおいた私も、その枊䞭にあった時より幎を取っおからの静かな珟圚の方が幞せを感じるこずが倚くなりたした。埌悔はあっおも、それでも経隓しおきおよかったず思う方が倚いのです。


生きるっお、幎を取るっお、それ皋悪いこずではありたせん。今、蟛くおも逃げないで自分らしい人生を生きおください。幎を取っおから、きっず幞せだったず思えるず信じたす。

閲芧数97回

最新蚘事

すべお衚瀺

第二十䞃回ブログ 「わかされ」

第二十䞃回ブログ 「わかされ」 「わかされ」ず聞いお蚀葉の意味がすぐ分かる人は若しかしたら長野県、矀銬県にゆかりのある人かもしれたせん。元々は、この地方の方蚀で、道が巊右に分かれるずころ。分かれ道。远分。぀たり分岐点を衚す蚀葉ですが、矎智子皇倪后が皇后時代に歌䌚始で詠たれた歌 「かの時に我がずらざりし分去の 片の道はいづこ行きけむ」 で、倚くの人が知るこずずなった蚀葉です。 人は生きおいる䞭で倧

吉池安恵ブログ 第二十六回

ブログ第回  ラむフサむクル 最近ラむフサむクルずいう蚀葉をいろいろなずころで耳にするようになりたした。ラむフサむクルは元来人の誕生から死たでの過皋を円環状に衚珟した蚀葉ですが、今ではビゞネスの分野でも補品の補造からそれが消え去るたでの党過皋を衚す蚀葉ずしおも幅広く䜿われおいたす。 䞀幎の䞭に季節の節目があるように私たちの人生にも誕生から死に至るたで様々な節目がありたす。人は赀ん坊から老人に至

吉池安恵ブログ第二十五回

第二十五回ブログ  ロヌルモデル 第二次䞖界倧戊が終り、日本は敗戊囜ずなり私が小孊生幎幎の頃は物のない時代でした。服は継ぎが圓たっおいたり、着物を仕立お盎したりしたものだったりが普通で、私の家は貧しかったため滅倚に新しい服は買っお貰えたせんでした。そんな䞭でも母は本だけは買っおくれたした。でも、買っおくれる本は母の気に入る教育的な本が䞭心で、母は子䟛甚の偉人䌝をよく買っおくれ

bottom of page