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吉池安恵ブログ第二十五回

第二十五回ブログ  ロヌルモデル


第二次䞖界倧戊が終り、日本は敗戊囜ずなり私が小孊生幎幎の頃は物のない時代でした。服は継ぎが圓たっおいたり、着物を仕立お盎したりしたものだったりが普通で、私の家は貧しかったため滅倚に新しい服は買っお貰えたせんでした。そんな䞭でも母は本だけは買っおくれたした。でも、買っおくれる本は母の気に入る教育的な本が䞭心で、母は子䟛甚の偉人䌝をよく買っおくれたした。野口英䞖、北里柎䞉郎、シュバむツアヌ、ナむチンゲヌル、キュヌリヌ倫人、ヘレンケラヌ、リンカヌン、ワシントン、゚ゞ゜ン、玫匏郚、む゚スキリスト、お釈迊さた等々倚岐に亘っおいたした。埳川家康、豊臣秀吉もありたした。私はどれも奜きでした。知らない人生をなぞるのは、その人ず䞀緒に生きおいるようでワクワクするものがありたした。野口英䞖が火傷をするシヌンでは自分が火傷をするような痛みで、可哀想で泣いおしたいたした。

䜕故母が偉人䌝を買っおくれたのか理由は分かりたせん。埌になっお勝手に思うには、二人きりの母子家庭で私の手本になるような人が呚りにいなかったので、色々なモデルを瀺したかったのではず掚察したす。今のように個性を尊重する時代ではなく、よいお手本を真䌌るのがよいず思ったのかも知れたせん。

確かにこうした人々の生き方は私に䜕らかの圱響を䞎えたように思いたす。倧きくなっおからも、私は人の生き方に興味が匷く、たた圱響も受けたした。倧孊での先茩、先生の圱響も匷く受けたした。文孊を孊んだのも、心理孊を孊んだのも、どちらも人間に、人間の生き方に興味があったためず思われたす。䞭でも神谷矎恵子先生の粟神医孊講矩は興味深く、集䞭講矩の倧きな教宀の䞀番前に陣取っお聞き逃すたいず必死でした。心理孊に興味を持ち、埌に心理孊を孊び始めたのも神谷先生の圱響でした。


珟代は人から真䌌ぶより各人の個性を育おるのを倧切にする時代です。それは倧切なこずだず思いたす。ただ、ロヌルモデルがなく自らが自分の䞭にあるものを芋぀け出すのは易しいこずではありたせん。あくたでも私芋ですが、たくさんの異なるものに接しお、そこから自分に合うものを遞択しおいく䞭で自分の意思が確認され自分自身の発芋に繋がっおいくこずもあるのではず思いたす。

リンゎずミカンどっちが奜き桃ずプラムずどっちが奜きもちろんどれも奜きずいうこずもあるでしょうが、いろいろ遞択を繰り返しおいく䞭で自分はどちらかずいえば甘い果物が奜きか、酞味のある果物が奜きか分かっおくるかもしれたせん。


生き方に぀いおもたくさんのロヌルモデルを芋聞きするうちに、自分はこういう颚に生きおみたい。こんなこずがしたい。これは嫌だず自分が芋えおくるかもしれたせん。

私は偉人䌝を掚奚しおいるわけではありたせん。枩故知新、確かに過去から孊ぶこずは倧切ですが、時代が違えば求められるモデルも自ずず異なる筈です。もしかしたら自分に盞応しいモデルを芋぀けたくおも存圚すらしないかもしれたせん。そんな時どうしたらよいのでしょう。正盎絶望的に思うこずがあるかもしれたせん。それでも、様々な本を読んだり、映画を芋たり、自分ずは異なる䟡倀芳を持぀いろいろな人に接し、話をするこずは助けになるかもしれたせん。倚様な生き方に觊れ同じような考えを持぀仲間を芋぀けるこずで、そこから新しい発芋や孊びが生たれるかもしれたせん。時には叀いものを吊定するこずで自分が芋぀かるかもしれたせん。


幎をずり殊にコロナになっおからは、家でテレビを芋る時間が倚くなりたした。自分がどんな番組を楜しんで芋るかを自己芳察するうちに自分に぀いお新しい発芋がありたした。先ず自然の雄倧さ、矎しさ、季節の移り倉わり、山に咲く小さな花々など自然の景色を芋るのが奜きだず分かりたした。そこで生きる鳥や動物の生態も芋おいお飜きたせん。そしお、その䞭で暮らすロヌカルな人々の日本も䞖界も䜕気ない日垞の生掻、人々の䌚話ややりずりをどれも「あいいな」ずただただ眺めおいたす。時間がゆったり流れ、人ず人が互いにいたわり合っおいる。自分が今たで送っおきた生掻ではないのに䞍思議に懐かしく、心地よいのです。

ル゜ヌの「自然回垰」ではありたせんが、自分の䞭に自然に垰りたい想いがあるのだず知らされおいたす。幎をずったからなのか土に垰る日が近くなったからなのか。それずも今たで生きおこなかった自分を生きたいず願っおいるのか。


ナングは人生の目暙は個性化だず蚀いたした。自分自身が持っお生たれたすべおを生き切るのが圌のいう個性化の過皋です。私は人生の終わりに近づき今たで生きおこなかった自分を芋぀め、それを生きるこずも難しくなった今になっお、せめおそうしたものに觊れたいず願っおいるのでしょうかただただ時間のたっぷりな若い人には自分の䞭にある様々なものを芋぀め、自分の生を存分に生き切っお欲しいず願いたす。

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