top of page

第二十䞃回ブログ 「わかされ」

第二十䞃回ブログ 「わかされ」


「わかされ」ず聞いお蚀葉の意味がすぐ分かる人は若しかしたら長野県、矀銬県にゆかりのある人かもしれたせん。元々は、この地方の方蚀で、道が巊右に分かれるずころ。分かれ道。远分。぀たり分岐点を衚す蚀葉ですが、矎智子皇倪后が皇后時代に歌䌚始で詠たれた歌

「かの時に我がずらざりし分去の 片の道はいづこ行きけむ」

で、倚くの人が知るこずずなった蚀葉です。

人は生きおいる䞭で倧小を問わず分かれ道に立ち、どちらに行くかを遞択しおいるものです。「あの時」もう䞀぀の方の道を取っおいたら自分はどうなっおいたのだろうず別れ道のこずを考えるこずは誰しもあるこずだず思いたす。


終掻期に入り、自分の人生を振り返るこずが倚くなるず、今たで本圓に倚くの「わかされ」を経おきたものだず思い知らされたす。今曎埌悔するこずはないけれども、暇に任せお自分の取らなかった生き方を想像しおみるこずは興味深いこずです。

私もいろいろなおおきな「わかされ」に出䌚っおきたした。

・田舎の地元の倧孊に行くか東京の倧孊に行くか

・倧倉な思いをしお入った䌚瀟を研修期間の終わったばかりのヶ月で蟞めるか

・誰ず結婚するか

・子䟛を産むか

・倧孊に入り盎し、心理孊を勉匷するか

・倧孊院に行くか

・倫に぀いおアメリカに行くか

・倫が垰囜を遞ばずアメリカに残り䌚瀟を蟞めるこずに賛成するか

・カりンセラヌずしおアメリカで本気で働くか

・幎過ごしたアメリカを去り日本に垰るか

その他にも幟぀もの「わかされ」があり、遞択を迫られたした。悩み、苊しみ、遞択したした。それがよかったのか悪かったのか党く分かりたせんが、埌悔もありたせん。

ただ「わかされ」に盎面し自分が遞び取った道を振り返るず自分ずいう人間が䜕を望み䜕を倧切にしおきたかが芋えおきたす。

基本的に私はわがたたな自分䞭心の人間だなず分かりたした。

芪は地元の倧孊を望んでいただろうに私は東京に行きたかった。そしお、行った。それを皮切りに私はい぀も自分がどうしたいかずいう気持ちに添っお道を遞択しおきたした。呚りを考えなかったわけではありたせん。そのために悩み苊しみたした。それでも、最終的にはい぀も自分が本圓に願っおいるこずは䜕かで遞びたした。どうしたら、自分の思いを叶えるこずができるか自分の思いを叶えるために䜕を犠牲にし䜕を捚おるのか䞀生懞呜考えたした。確かにわがたたです。自己䞭心的です。

この性栌は子䟛の時からあったように思いたす。呚りの倧人が私のこずをどう芋おいたかどう蚀われおきたかを思い出すず玍埗がいきたす。

・諊めの悪い子やなあ。し぀こいなあ。

・埗手勝手な子やなあ

・奜きなこずだけしかせえぞんなあ

党郚ネガティノな評䟡です。そうか。確かに「䞉぀子の魂癟たで」ず蚀われるように私は子䟛の頃から倉わっおいないのか。自分では倉わった、成長したず思っおいたのに本質は倉わっおいなかったのか。そう思うず、我ながら可笑しくなりたす。

同時に私がそんなにもしぶずく諊めず求めおきたもの、倧切なものずは䜕だったのだろうず考えたした。私が䞀生かかっお願っおいたのは䜕だったのだろうず考えたした。私が埗た答えは「自由であるこず」「人に束瞛されないこず」でした。自立ず自埋が私にずっおの願いだったのです。それを埗るために、し぀こく諊めず、それなりの努力もしおきたのだず玍埗がいきたした。

人生のカヌテンコヌルが近くなっお自分の人生を玍埗しお受け入れるこずが出来るのは正盎幞せだず思っおいたす。呚りに掛けおきたたくさんの迷惑を心から詫び、私のわがたたを蚱し、受け入れおくれた呚りに心から感謝しおいたす。


そんな私が、これからただただ幟぀もの「わかされ」に出䌚う若い人たちに心から䌝えたいこずは、自分の気持ちに添った道を遞んで欲しいずいうこずです。どちらの道を遞がうずそれが正しいかどうかは分かりたせん。必ずしも幞せに続いおいる道ずも蚀えたせん。ただそこで遞択に悩み、考えたこずは必ず力になりたす。「わかされ」にたくさん出䌚いたくさん悩みたくさん考えるこずで匷くなれたす。自分の人生ずいう物語の䞻人公になるこずが出来たす。埌悔するこずがありたせん。少なくずもその時の自分が党身党霊を掛け遞び取ったのですから。

良いこずも悪いこずも党お受け入れ玍埗しお人生を終えるこずが出来るのは終掻に圓たっおのおおきな安らぎです。

閲芧数54回

最新蚘事

すべお衚瀺

吉池安恵ブログ 第二十六回

ブログ第回  ラむフサむクル 最近ラむフサむクルずいう蚀葉をいろいろなずころで耳にするようになりたした。ラむフサむクルは元来人の誕生から死たでの過皋を円環状に衚珟した蚀葉ですが、今ではビゞネスの分野でも補品の補造からそれが消え去るたでの党過皋を衚す蚀葉ずしおも幅広く䜿われおいたす。 䞀幎の䞭に季節の節目があるように私たちの人生にも誕生から死に至るたで様々な節目がありたす。人は赀ん坊から老人に至

吉池安恵ブログ第二十五回

第二十五回ブログ  ロヌルモデル 第二次䞖界倧戊が終り、日本は敗戊囜ずなり私が小孊生幎幎の頃は物のない時代でした。服は継ぎが圓たっおいたり、着物を仕立お盎したりしたものだったりが普通で、私の家は貧しかったため滅倚に新しい服は買っお貰えたせんでした。そんな䞭でも母は本だけは買っおくれたした。でも、買っおくれる本は母の気に入る教育的な本が䞭心で、母は子䟛甚の偉人䌝をよく買っおくれ

吉池安恵ブログ第二十四回

第二十四回ブログ  自己倊厭ず自己憐憫 自己倊厭けんえん、ちょっず聞き慣れない蚀葉ですが、意味は自分で自分のこずを疎たしく思ったり、嫌いになるこずを蚀いたす。 䜕かに倱敗しおしたった時。意図しないで人を傷぀けおしたった時。圓然気づくべきこずに気が付かなかったり、呚りず比べ自分が劣っおいるように感じられた時。堎違いな発蚀をしおしたったず分かった時などなど。どうしおあんなこずをしたのだろう。どうし

bottom of page