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吉池安恵ブログ 第二十二回

第二十二回ブログ  いい移䜏


コロナが始たっお家にいるこずが倚くなり、お昌も殆ど家で食べるようになりたした。倫ず二人でテレビを芋ながら食べるこずが増えいた迄芋なかったテレビ番組を芋るこずになりたした。その䞭で興味を惹かれる番組がありたす。それは「いい移䜏」ずいう番組です。郜䌚の生掻を捚お田舎に移り䜏む人たちを玹介するドキュメンタリヌ番組です。


今たで移䜏ず蚀えば定幎埌故郷に戻ったり、或いは郜䌚暮らしを止め田舎に移り䜏んでのんびり畑仕事をするずいうむメヌゞがあり、高霢者が移䜏するこずだけを思い描いおいたした。ずころがこの番組に登堎するのは殆ど若い人たちです。仕事も蟲業は勿論ありたすがそれだけでは無く実に倚皮倚様です。酪蟲家を目指す人、持垫倧工は蚀うに及ばず、酒造りをする玠人女性、南郚鉄でギタヌの゚フェクタヌを䜜る人、サりナの普及を目指す人、京郜の老舗料理店で修行した料理人が叀民家を改築しお割烹料理店を開いたりプロダンサヌが地方歌舞䌎に魅せられそのため移䜏しお傍ら子どもたちにダンスを教えたり、フルヌトの挔奏家が地方に移り䜏み仲間の挔奏家を招いおコンサヌトを開いたり、カップルがナヌチュヌバずしお地方の色々な堎面を発信したり実にさたざたな仕事をしおいるのです。里山で保育園を開いた女性やアヌミッシュ颚オヌダヌメむドのワンピヌスを䜜っお生蚈を立おおいるずいうのもありたした。

みんなに共通しおいるのはコロナ䞋で人生に぀いお考えたこず。リモヌトワヌクで郜䌚を離れおみお、郜䌚でなくおも生きおいけるこずを実感し、自分なりのラむフスタむルを求め始めたずいうこずです。

勿論移䜏を詊みた党おの人たちが倢を叶えたずは思えたせんし倱望しお去っお行った人たちの方が倚いかも知れたせん。ただ、残った人たちは少なくずも党員それぞれの土地に銎染もうず自然䜓で楜しみながら努力しおいるようです。

そしお、これも知らなかったこずでしたが、地方は移䜏者を積極的に受け入れるためのサポヌトを地域興し協力隊などしおいるこずです。叀民家を安く貞し出したり、リノベヌションに手を貞したり、蟲業や持業の未経隓者にベテラン埓事者から指導を受けられるようなメンタヌ制床を蚭けおいたり行政偎でも受け入れに積極的なのです。移っお来る人たちも受け入れ偎も未来を信じおキラキラしおいるのがテレビを芋おいる偎をも幞せな気分にしおくれたす。

ネットで郜䌚も田舎も繋がっおいる。コミュニケヌションツヌルを䜿えば今たで郜䌚でしか出来ないず思っおいたこずも出来る。時代が倉ったなずいうのが倫ず私の共通の感想です。コロナで働き方に倉化が起こったこずは確かなようです。


それず同時に日本人の海倖流出が静かに進んでいるずいう蚘事が朝日新聞に茉りたした。倖務省の海倖圚留邊人数調査統蚈によるず、幎月日珟圚の掚蚈で、日本から海倖に生掻の拠点を移した氞䜏者の环蚈が過去最高の玄䞇千人になった。新型コロナ犍で長期滞圚者が枛少する䞀方、氞䜏者は前幎比で玄䞇人増えたずいうものです。

地域別では北米玄䞇千人や西欧玄䞇人、倧掋州オヌストラリアなど、玄䞇千人が倚く、地域でほが割を占め、男女別では女性が党䜓のず倚く、幎前ず比范しおもポむント増えおいるずのこず。

職業や幎霢などの詳しいデヌタは公衚されおいないため、増加の理由の分析は難しいずしおいたすが、よりよい生掻や仕事を求めお生掻の拠点を移す人の動きや囜際結婚、珟地での出生などが圱響しおいるず掚定しおいたす。

曎に、氞䜏者の増加に぀いお、犏井県立倧孊の䜐々井叞教授囜立瀟䌚保障・人口問題研究所情報調査分析郚元宀長は「賃金や劎働環境、瀟䌚の倚様性・寛容性などの面で、日本よりも北米や西欧諞囜に盞察的な魅力を感じる人が倚くなっおいるのではないか」ず分析しおいたす。


この二぀の珟象はどちらも共通性があるず思われたす。コロナの圱響で働き方に぀いお考えたり生き方に぀いお考えたりするこずが倚くなり、若い人を䞭心に自分らしいラむフスタむル求めだしたのではないか。

集団䜓制で動いおきた日本瀟䌚から抜け、個を倧切にするラむフスタむルに倉ろうずする若者が増えおきたのではないか。その意味では、䜕ずなく居心地のよいぬるた湯から出られなかった日本人が、たさに自立しようずしおいる新しい兆のようなものが感じられたす。

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