吉池安恵ブログ 第十五回

我慢と忍耐


我慢を辞書で引いてみると、耐え忍ぶこと。こらえることとあります。英語ではpatienceとあります。一方、忍耐を調べると、苦しさ、辛さ、悲しさなどを耐え忍ぶこととあり、こちらも英語はpatienceです。

どちらも、耐え忍ぶ事であり、英語では全く同じです。けれども、日本語でこの二つの言葉を耳にした時、何となく違う響きがあると感じるのは私だけでしょうか。実際、カウンセリングの場で観察すると、我慢している人と耐えている人は異なるのです。我慢している人は、我慢に我慢を重ね、何時か爆発するのに対して、忍耐している人は耐えた先を見つめているのか爆発することがないのです。


あくまでも私見ですが、我慢というのは取り敢えず、一時的に問題を避けるために堪える、自分を抑えることのように思えます。

それに対して忍耐は目的を持ち、その達成のために苦しさに耐える。努力する。オリンピックを目指し、コンクールを目指し精進するなどのように、未来を夢見て長期にわたり自らの意思で頑張る事のように思えます。

言い換えれば、我慢は自分の気持ちを抑えることであり、忍耐は自分の気持ちを尊重することなのではないでしょうか。どんな大きな「堪忍袋」も抑えに抑えていてはやがて抑えきれず、緒が切れて破れてしまいます。つまり我慢は元来自分の心に背くことを目先の益のために取る行動といえるのかもしれません。


私たちは子どもの頃から、我慢することをよいことと教えられてきました。

「おしっこを我慢する」「お腹が空いても我慢する」「腹が立っても我慢する」「泣きたくても我慢する」「眠いのを我慢する」などいい子はみんな我慢するものだと教えられてきました。

でも、おしっこを我慢していても、何時までもしきれるものではありません。漏らしてしまうかも知れません。お腹が空いても暫くは我慢できてもずっと我慢し続けることはできません。我慢はあくまでも一時的なもので、長くは出来ないのです。おしっこはトイレを捜すまでの間、空腹を我慢するのはご飯が出来るまでの間一時凌ぎにするもので、いわば短距離走です。


それに対して、忍耐は長期戦です。目的を定め、それに向かって長い道のりを走るマラソンのようなものです。自分で決めた目的がなければ長丁場の努力は出来ません。将来に対して希望があり、達成したときの喜びという動機付けがあるから人は耐えることが出来るのです。それは己の意思で決めたことであり、他人から強いられた事ではありません。

こう考えると、我慢と忍耐は決して同じではないと言えそうです。


いったい、我慢は本当にすべきことなのでしょうか?本当によいことなのでしょうか?

辞書をよく調べてみると、目から鱗、驚きました。我慢には私の知らなかった全く別の意味があったのです。

本願寺出版社「くらしの仏教語豆事典」に依ると、我慢は仏教語で、我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思っておごり、他を侮ること、高慢とあり、余りよい意味ではないのです。

仏教では自分の中心に「我(が)」があるとの考えから、我を頼んで自らを高くし、他をあなどることと説明しています。仏教では、そのようなおごりたかぶるよくない心を七つ挙げ、「七慢(しちまん)」と称していますが、我慢もその一つなのです。それが、我が強い、負けん気が強い、がんばる、辛抱するなどと変化したようだとのことです。

更に慢について調べると、これもその意味の第一は他を軽んじて自らをよしとする。高ぶることとあります。例として、慢心、傲慢、自慢、驕慢、高慢、暴慢、我慢とあり、この中でよい意味(?)に使われていると思えるのは我慢だけです。でも、実は我慢もよい意味ではなかったのです。自分だけを頼りにする。他の人は頼りにならないという考えですから、必ずしもよいとは言えないのです。

こんな風に考えると、我慢をし続けることは孤立を深め、精神上健康的なことではなかったのだと納得がいきました。

我慢は自分一人で決め、自らが実行することですから、相手との対話がありません。何かを解決しようとする時、周りは頼りにならないと勝手に決めてしまわないで、歯を食いしばって自分だけを頼りに頑張るのではなく、困っていることを相手に伝え、相手の気持ちも聞き、気持ちのキャッチボールをしながら解決していく方が精神衛生上よいと思えるのですが、どうでしょうか?

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