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吉池安恵ブログ 第十九回

Empathy(共感)について


最近empathyについて考えさせられる出来事がありました。


台風が日本列島を縦断している最中に息子から旅行に誘われたのです。以前からの予定でしたが、台風がまともにやってくるので、不要不急の外出は控えるようにとのニュースが流れていました。行き先は飛騨、上高地です。行ってみたい気持ちで一杯でしたが、足がモタモタしている年寄りは少しでも危険なところには近寄りたくないという気持ちの方が強く、私はこんなメッセージを息子に送りました。


「上高地行きのことですが、躊躇しています。私は普段から足元がふらふらしているので、何時も転ばないように気をつけています。雨の日や濡れているところは取分け鬼門です。ですから、折角の楽しい上高地が今回は楽しめないのではと心配しています。滑って転んで骨折なんかしたらみんなに迷惑を掛けてしまいます。折角の旅行は心から楽しみたいのです。分かって貰えるかな~」

すると息子から次のメッセージがきました。

「分かるけど、しっかりした道だよ…天気も問題ないよ…何なら、歩かなくても気分だけでも味わえるし。任せてよ」

以下がやり取りです。

「キャンセルは何時まで出来るのでしょう?明日の朝の天気予報を聞いてから決めても間に合うのかしら?あなたに後で後悔させたくはありません」

こんなメッセージを送ったあと、電話が掛かってきてあれこれやり取りの後、私はとうとう折れて行くことになりました。不安で一杯でしたが、最後はケセラセラと腹をくくりました。


結果は?出発時は大雨でしたが、段々と止んできて郡上八幡についた時にはカラリと晴れ上がっていました。翌日の上高地は朝から青空、河童橋からの穂高連峰は正に私の見たかった景色でした。ただ、大正池から河童橋までの道は前日の雨で木道が濡れていて滑らないかと緊張のし通しで肩がガチガチ。夫が手を引いてくれました。


結局息子の結論は正解でした。彼がempathy に溢れた子で私の不安な気持ちに寄り添い、私の気持ちを尊重してくれていたら、彼が押し切らなかったら、 多分私は一生上高地に行けず終いかも知れません。その意味では感謝しています。ところが何故か、どこかですっきりしない、引っかかるものがあるのです。


それは息子のある意味での強引さ、empathyの不足です。

親を喜ばせたい、自分が見てよかったと思う景色を親にも見せてやりたいという息子の気持ちは親として嬉しく、優しさが心に響きました。だからこそ、自分の不安な気持ちを抑えて同行したのです。しかし、これは親だからこそ通じたことで、パートナーや子ども、或いは他人に対して通じるだろうか?押しつけ、独りよがりと思われないだろうか?息子は、もう少しempathy を示すような説得の仕方を学ぶべきでは無いだろうか? と考えてしまったのです。


ではどう言えばよかったのか?私はどう言って欲しかったのか?考えました。

私が行くことを躊躇していると言った時、empathy のある受け応えというのはどういうものでしょうか?

「そうか。まあ、確かに心配だよね。足が悪いんだから当然だよね」と受けるのはどうでしょうか?

「そう、分かってくれる?行きたい気持ち半分、止めたい気持ち半分ってとこかな」

「不安ってそういうもんだよね。自分の気持ちは大事にしてね。僕としては前に行ったときの景色があんまりよかったから、お母さんに見せてあげたいとつい思ってしまったんだ。押しつける気持ちはないよ」

「ありがとう。もう少し考えさせて。今回行かなかったらもう二度と上高地はいけそうも無いから」

「そうだね。それも残念だよね」

こんな風に話が進めば多分私は自分で、「やっぱり、行くわ。迷惑掛けるかも知れないし、ちょっと不安だけど…頑張ってみる!」となるような気がします。そして、押し切られた結果では無く自分自身が出した結論であることに満足したように思えます。

empathyのある会話では一直線に話が進みません。右往左往して、まだるっこしいのが普通です。でも、本人が自身で結論を出すということが大切なのです。


この件に関しては、私の側に大きな反省があります。

息子と気まずいやり取りをしたくないという気持ちから、自分の本当の気持ちをハッキリ主張せず、勝手に彼にempathy を期待し、かつempathyの足りない(少なくとも私にはそう思える)息子に一方的に不満を持ったからです。そうと気付いた時、自分の中で引っかかっていたものが取れ、気持ちがすっきりしました。

「あなたの気持ちはとっても嬉しいけど、ここは私の気持ちを優先させて。今晩よく考えて結論は明日の朝電話するわ」と言えばよかったのです。でも、そうしたら多分私は、上高地は見ず終いになったかも知れませんが。


全てが終った現在、私は、遅まきながらこの件でempathyについて自分があれこれ考えたことを息子に正直に伝えようと決心しました。どう受けとられるかは分かりませんが。

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