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吉池安恵ブログ 第十七回

ブログ第十七回  幸せについて


幸せという言葉を聞いて何を連想しますか?思い浮かべることは人それぞれだと思いますが、私はメーテルリンクの「青い鳥」とドイツの詩人カール・ブッセの「山の彼方」が浮かびます。


「青い鳥」の話は余りにも有名なのでここであら筋を書くまでもないとは思いますが、チルチルとミチルという二人の兄妹が幸せの青い鳥を探しに旅をする話です。そして青い鳥は見つけても手に入れることは出来ず、疲れ果てた二人が家に戻ってきた時に口にしたのが

「なんだ、あれが僕たちのさがしている青い鳥なんだ。僕たちは、ずいぶん遠くまでさがしにいったけど、ほんとうはいつもここにいたんだ。」

という言葉でした。


カール・ブッセの詩は

山の彼方   カール・ブッセ作    上田敏訳


山のあなたの空遠く 「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。 噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、 涙さしぐみ、かへりきぬ。 山のあなたになほ遠く 「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。


というものです。

どちらも幸せは遠くにあると信じ、遠くまで探しに行ってみたけれど幸せは遠くにはなかった、という内容です。ブッセの詩はそれでも尚もっと遠くあるのかも知れないと思う気持ちも表しています。


若い時は幸せを求めて地方から都会に出てきたり、外国に行ったりすることが多くあります。遠くを見たい、自分を高めたい積極的な気持ちの現れです。夢を見たり、追い求める、現状を変えたいと思うのは若者の特権です。それがなければ世の中の進歩は生まれないかもしれません。でも、そうしてあがいている間は幸せを感じることは難しいものです。何でも渦中にあると見えないことが多いのです。ただ、その時は辛いことでも経験することで、振り返った時に見えてくるものがあります。「ああ、あの時は幸せだったな」と感じることもあります。経験していなければ分からない気持です。


私は年を取って若い頃を振り返ったとき、そういう思いをすることがたくさんあります。受験勉強もその最中は何でこんなことを!と思ってばかりでしたが、老人になった今になって、「あの時はがんばれたのだな~」と若さのエネルギーを我ながら懐かしく思ったり、子育ての大変さも、数々の失敗も「まあ、今となっては大したことではなかった。経験できてよかった!」と思えたりします。

距離と時間は人に余裕を与えるのでしょうか?全体が見えてくるのです。若い時は未来で、未知の世界で一杯です。未来は誰にも見えません。そのため何かしら不安があり、たとえよいことがあっても単純に幸せを感じることが出来にくいのです。でも、年を取ると大抵のことは既に終ったこと。結果が見えているのです。見えない未来は残り少なく、大抵は過去ばかりなのです。過去は見えるものです。変えようのない過去を否定的に捉え、後悔にさいなまれる人もいるかも知れませんが、多くの人は自分の人生を否定したくないのが普通です。

フロイドは記憶の快楽原則を唱えています。楽しいこと、幸せなことは記憶に残り易いというのです。悲惨な経験をした人も年長く生きてくると、その過程の中で嫌な記憶を薄れさせる事が多いようです。そうでなければとても生きては来られなかったのかも知れません。ですから、若者と比べ老人は幸せを感じることが多いように思えます。

何が起こってもあの時と比べれば大したことではない!という気持もあるのかも知れません。


私の母は33才で夫を亡くし、苦労して子どもを育て上げ、その子どもは親を離れて都会に出てというパターンで、一生一人で過ごし、とても幸せとは縁が無い人のように私には思えました。私は親不幸を絵に描いたような子どもでした。でも、母は晩年、自分の人生は幸せだったと言っていました。何故幸せだと思うのかと聞いたことがありました。母は「与えられた人生を自分なりに一生懸命生きてきた誇りがある。子育ても大変だったけれど覚えているのは楽しいことばっかり。子どもは成長し、負うた子にはいろんな事を教えて貰った。子どもを通して見られなかった世界が見えたし、自分は子どもの幸せに役にたった。これ以上の幸せがあるか?」と逆にきかれてしまいました。

私は返す言葉がありませんでした。遠くばかり見て、夢を追ってばかりの私とは反対に、母は足下を見、身近にある青い鳥を見つめていたのでした。


夢見がちであがいていた私も、その渦中にあった時より年を取ってからの静かな現在の方が幸せを感じることが多くなりました。後悔はあっても、それでも経験してきてよかったと思う方が多いのです。


生きるって、年を取るって、それ程悪いことではありません。今、辛くても逃げないで自分らしい人生を生きてください。年を取ってから、きっと幸せだったと思えると信じます。

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