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吉池安恵ブログ 第八回

第八回 常識について


カップルカウンセリングに来る人たちがお互いをなじり合うときによく使われるのに「常識」という言葉があります。

「あなたって本当に常識がないんだから」

「そんなこと常識でしょう?」

「常識で考えれば分かることが分からないのかな~。ごく普通のことを言っているだけなんだけどな~」

「この人は世間の常識ってものを知らないんですよ」

「そんなこと当たり前でしょう。誰だって知ってるわよ。常識じゃない!」

自分には常識があり、パートナーには常識が欠けている。そのために問題が起こっている。悪いのはパートナーという論法です。


では、常識とは一体なんでしょうか。国語辞典によると、「常識とは一般の人が共通に持つ、また持つべき普通の知識・意見や判断力」とあります。極めて曖昧な定義です。

一般の人ってどんな人?共通に持つって何パーセントぐらいの人が?など疑問が出てきます。

私は常識や普通には、育った家庭や地域差があり、全てが真実であるとは考えません。日本の常識が世界の常識ではないのです。ロシアの常識とアメリカの常識は対立するものであることさえあります。また、時代によって常識も変ってきます。明治時代の常識は今の社会の常識からはかけ離れていることも多々あります。ということは自分が思っている「常識」はパートナーにとって「非常識」ということもありうるのです。


私たちは愛するということは心が通じ合うことだと思いがちです。心が通じ合っている人は同じ考えを持っていると勝手に思い込みがちです。でも、育った家庭が異なり、地域が異なり、時には人種が異なり、国が異なれば違う考え、異なる常識を持つのはごく普通です。

アインシュタインは「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである」

“Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.”

と言っています。


森鴎外も

「私は学殖なきを憂うる。常識なきを憂えない。天下は常識に富める人の多きに堪えない」

バートランド・ラッセルは似たようなことを

「常識外れの奇抜な思想を持つことを恐れてはいけない。今日の常識のほとんどは、元々常識外れの思想から生まれているのだから」

”Do not fear to be eccentric in opinion, for every opinion now accepted was once eccentric.” と言っています。


異なる考えや意見に接した時、自分と違うからと否定するのではなく、「そうなんだ、そういう考えもあるんだ」と受けとめ、改めて考えてみることは大切です。自分と異なる意見を持つパートナーであることは、むしろ自分の考え方の幅を広げてくれる可能性があるのです。お互いがお互いの違いを認め合うことでどちらも人間としての幅を広げることが出来る。実はそのために惹かれ合い、愛し合うようになったのではないでしょうか?


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