top of page

吉池安恵ブログ 第五回

明けましておめでとうございます。


コロナ下の新年、みなさんはどのように過ごされましたでしょうか?

大勢で集まることも憚られ、集まっても何となく後ろめたさを伴い存分に愉しめなかったいう方もいらっしゃるかもしれません。私も、家族がバラバラに集まり、時間を気にしながらというお正月でした。心の底から、楽しかった、嬉しかったという正月ではありませんでした。それでつい楽しかった子供の頃のお正月などを想い出していました。


私の子供時代は昭和20年代の初め、戦争が終って物の無い、貧しい時代でした。勿論、テレビもスマホも無く、私の家には電話も有りませんでした。でも、とても楽しかった!

「もう幾つ寝るとお正月…」の歌は嘘では無く本当に待ち遠しかったのです。なぜだろう?


私の家は父が戦争で亡くなり、母と二人暮らしでした。とても貧しく、普段は接ぎの当たった靴下や服を着ていました。服の上には母の着物を再生して作った上っ張りを着ていました。ところが、お正月は全てが新しくなる日なのです。下着も靴下もまっさら。服も接ぎの当たっていない新しい服なのです。朝起きると、枕元に揃えてありました。新品の衣類を身につける心地よさ。

普段は洋服の母も元旦は着物で、その上に真新しい割烹着を掛けていました。台所のボン笊も菜箸も真新しく、母は何とはなしに嬉しそうで、何時もより綺麗に見えました。


鏡餅が数カ所にあり、私の机の上にも小型の鏡餅がありました。元旦は何かが違うのです。新しい空気が新しい年と共にやってくる!本当に、今年はよいことが起こるのではないかという期待さえ抱かされました。


お節は今のように豪華ではありません。品数も少なく、ささやかでした。でも、そんなことは気になりません。

よく伸びるお雑煮の餅を「伸びる、のびる~」と言いながら上まで持ち上げ食べる時の嬉しさ。母ものんびりしていて、

「今年はどんなことをするの?目標は?」などと話が弾みます。


「一年の計は元旦にあり」というのが母の口癖で、去年は去年。今年は今年という考えの人でした。母は何でも引きずらない、前だけを見ている人で、私が何か失敗して、めそめそ、ウジウジしていると、「済んだことはしょうがない。今度ちゃんとしたらよろし」と言う人でした。

お正月がその最たるもので、一年中の悪いこと、嫌なことは除夜の鐘と共になくなり、お正月からは新たな未来が始まるという考えのようでした。そうしなければ生きられなかったのだろうな~と今になってそういう母を愛しく思います。


そんな母の考えに影響されてか、私は新年が始まれば過去の悪いこと、嫌なことと縁が切れるような感覚になっていました。そろばん珠をご破算にするように、全てが新しくなるようなご都合主義の考えになっていました。


ところが、高校生ぐらいの頃だったか、高浜虚子の俳句

「去年今年貫く棒の如きもの」を読んでハッとさせられました。

貫く棒?って何だろう。色々考えました。棒のようにしっかりしたもの。強いもの。これは単に去年と今年が時間的に連続している。繋がっているという単純なことではない。去年と、今年で、全てをご破算にする自分の生き方に何か突きつけられたように思いました。私の棒?ない!何もない自分。とても恥ずかしく思いました。


翻って、年の初めの私の目標を思い出してみると、何時もおなじだということに気が付きました。私の願いは幼い頃は

「去年よりはいい子でいられますように」

少し大きくなってからは

「去年よりはよい人間になれますように」ということでした。な~んだ。私はいつも同じことを願っている!と気づきました。そうか、これが私の棒だったのか、そう思えるようになりました。


ご破算にはするけれども、そこからまた新たに同じ目標に向かっている。つまり連続している。信念と言える程のものではないけれど、自分の生き方はこれだった。よりよい自分を目指すこと。成長することなのだと納得しました。何もない自分ではなかったと思うと、急に気が軽くなったのを覚えています。


でも、人生100年時代の今考えてみると、ご破算はそんなに悪いことではなかったのではないか?何時でも人生はやり直せるのではないか?確かに人生は一度きりだが、途中で別の道、生き方を選ぶことによって、何回も生き直せるのではないかと思えます。


父のいない母子二人きりの貧しい生活の中で私は、負け惜しみからか、“人と比べないこと。みんな違ってていいのだ”と自身に言い聞かせていました。この自分の体験から、異なる生き方や多様性を主張し、受け入れることが出来るようになったのではと今は感謝しています。


どんな家庭に育つか人は選べません。“親ガチャ”と言いたくなる気持ちも分かります。確かに、自分の背負ったハンディを跳ね返すことは決して、端から見るほど簡単なことではありません。だからといって、事実を否定することも出来ません。


どうしたらよいのでしょう。正直私にはよい解決策は思いつきません。ただ、自分だけは自分を見捨てないで、過去ではなく、未来に目を向けて欲しいと思います。過去は変えられませんが、未来は自分の手を加えることが許されます。少なくともなりたい自分、送りたい人生のイメージを持つことで、自分の歩むべき方向を変えることができます。そうすれば、その道に沿って少しずつ、現在とは異なる方に動き出すことができるかもしれません。最初は少しだけ向きを変えることで、最終的に道は全く別の処に行くはずです。

諦めないで、うずくまらないで、ほんの少しでも動いて見てください。


皆さんにとって今年がどんな年になるか分かりません。でも、振り返って、よい年だったと言えるような年であることを祈ります。


閲覧数:65回

最新記事

すべて表示

母の日に寄せて 私には二人の母がいました。私を産み、育ててくれた母と結婚して得た夫の母です。 二人とも私を支えてくれた大切な人です。 どちらも大正3年五黄の寅年に生まれました。一人は11月25日生まれ、一人は12月4日生まれ。同時代に生を受け、同時代に育った二人の母は全く異なる環境に育ち、性格も異なっていました。 私の母は寅のイメージさながらの強い人でした。ハッキリと意見を言い、全てにストレートで

第二十二回ブログ  いい移住~ コロナが始まって家にいることが多くなり、お昼も殆ど家で食べるようになりました。夫と二人でテレビを見ながら食べることが増え、いま迄見なかったテレビ番組を見ることになりました。その中で興味を惹かれる番組があります。それは「いい移住~」という番組です。都会の生活を捨て、田舎に移り住む人たちを紹介するドキュメンタリー番組です。 今まで移住と言えば定年後故郷に戻ったり、或いは

第二十一回ブログ  折り合いを付ける コロナ感染症の発症以来丸三年経ちました。私にとってこの間ほど自分の気持ちの折り合いについて考えた期間はなかったように思います。 「折り合いをつける」というのは、一般には交渉事や調整の場面で、意見の異なる人同士がどちらも受け入れられる妥協点を探すこと。 「これであれば同意ができる」という点を探ることを指しますが、個人の気持ちの場合にも使われます。自分の心の中にあ

bottom of page