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吉池安恵ブログ 第二十一回

第二十一回ブログ  折り合いを付ける


コロナ感染症の発症以来丸三年経ちました。私にとってこの間ほど自分の気持ちの折り合いについて考えた期間はなかったように思います。

「折り合いをつける」というのは、一般には交渉事や調整の場面で、意見の異なる人同士がどちらも受け入れられる妥協点を探すこと。 「これであれば同意ができる」という点を探ることを指しますが、個人の気持ちの場合にも使われます。自分の心の中にある対立した気持ちに整理をつけ自分なりに納得できる結論を出す時に使われます。


コロナの発生当時私たちには何の知識もありませんでした。いきなりイタリアでロックダウンが起こり、あれよあれよという内に日本でも緊急事態宣言が出され、不要不急の外出は控えるようにとの政府の通達。ニュースは四六時中コロナの恐ろしさか、対処の仕方を伝えるものばかりになってしまいました。何だか分からない時、人はパニックになり、「右へ倣え」の行動を取りがちです。兎に角気をつけるに越したことは無い。政府の言う通り外出は止めよう。マスク、手洗いはしよう。三密は避けよう。極めて従順に政府の通達に従いました。

買い物も「ネットでオーダーし、玄関まで持ってきて貰うといいわよ。」という人がいたり、病院さえ怖がって行かなくなるという状態でした。

そんな中、私は病院はおろか美容院に行き、歯医者にも行き、毎日散歩がてらに行くスーパーにもいつも通り行っていました。ただ、そうしながらも何となく憚られ、悪いことをするような後ろめたさを持ちながら出かけていました。夫はその度に「大丈夫か~」「コロナ持ち帰らないでくれよ」と婉曲な反対を示していました。

勿論私なりの制限もありました。外食はしない。人の多そうなスーパーには行かない。時間帯も考える。

マスクはしっかりして、レジの人とのお喋りはしない。勿論帰ってから手洗い、うがいをする。友人とのランチは行きたいけれど、自分からは誘わない。誘われたら応じる(誰も誘わなかった。)映画館、美術館には行かない。旅行は行かない。電車に乗るときは指示通り、席を空けて坐る。これらは自らに課した制限で、これが私の折り合いでした。


息子達はといえば、一人は3ヶ月ほどしてから「どうしてる?大丈夫?コロナ掛かってない?退屈してない?行ってもいいかな?心配で嫌だったら行かないけど」と連絡があり、やってきました。その後も普通にやってきて、時に車で人混みを避けたレストランに(ベランダで海を見ながら)遠出もしました。もう一人は小さい子どもがいて、子どもから老人への感染を恐れ、マンションの入り口までみんなでやってきて、30分ほどマスクのまま立ち話をするというスタイルでした。私と夫はそれぞれに合わせてどちらも喜んで受け入れました。


最初はこんな風でしたが、政府の対応の変化に合せて私たちの行動も少ずつ変化していきました。何より影響があったのはコロナについての知識を持ったことでした。ワクチンは積極的に受け、闇雲に怖がらず、注意深くある。しかし、行動に出来るだけ制限は加えない。必要とあれば海外にも行く。こうして、政府通達と自分の気持ちとの折り合いを付けることが出来ました。


折り合いというのは、考えてみると折り紙を折るときの山折り、谷折りに似ています。山折り線、谷折り線があって初めて一枚の折り紙が鶴になったり、風船になったり形を作ることが出来るのです。人の気持ちも、何を受け入れ、何を受け入れないかを明確にすることで自分の考えがハッキリしてきます。そして、人はそれぞれ折り合いの付け方が違うのです。一枚の同じ折り紙でも、鶴を折りたい人もいれば風船を折りたい人もいる。押しつけるわけにはいきません。それぞれの納得が必要であると感じました。


4月以降、政府の新たな対応方針が出るとのことですが、でも、それはそれとして一人ひとりの対応は異なるのではないかと思います。自分なりの判断が出来るようにコロナについて知識を深めることが第一です。そして、「右へ倣え」ではなく、一人ひとり、自分なりの折り合いの付け方でいくのが健全なように思えます。

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