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吉池安恵ブログ第二十三回

母の日に寄せて 


私には二人の母がいました。私を産み、育ててくれた母と結婚して得た夫の母です。

二人とも私を支えてくれた大切な人です。

どちらも大正3年五黄の寅年に生まれました。一人は11月25日生まれ、一人は12月4日生まれ。同時代に生を受け、同時代に育った二人の母は全く異なる環境に育ち、性格も異なっていました。


私の母は寅のイメージさながらの強い人でした。ハッキリと意見を言い、全てにストレートで時には相手をねじ伏せる程の激しさを持っていました。同時に情に脆く、涙ぐむことが多く、可哀想な人を見過ごすことの出来ない人でした。喜怒哀楽が手に取るように分かる単純な人でした。

一方夫の母は穏やかな人で、声を荒げることはなく、人の気持ちに寄り添いどちらかと言えば受け身の人のようでした。最初私は同じ寅年生まれでも性格は随分違うなと思っていました。


それを端的に現わしていたのは、鍋の洗い方の違いでした。

私の母が鍋を洗うときは金属ブラシで力一杯ごしごし擦り、鍋は内外何時もピカピカでした。夫の母は柔らかいブラシでそろそろと撫でるように洗いました。傍で見ていると洗うと言うより撫でているとしか見えませんでした。とても綺麗になるとは思えませんでした。ただ、時間を掛け何度も何度も洗っているうちに少しずつ鍋は綺麗になっていきました。私の母の洗った鍋は確かに短時間でぴかぴかでしたが、同時に傷もついていました。夫の母の鍋は確かにピカピカにはならず何となくくすみが残りましたが、傷はついていませんでした。その分時間は掛かっていました。

面白いな~と私は観察していました。ハッキリしていたことは二人とも目的を持っていて、それに沿って仕事をしていたということでした。私の母は鍋を短時間にピカピカにしたい。夫の母は鍋を傷つけず綺麗にしたい。同じ鍋を洗うのにも性格や目的によって違いが出てくるのだと学びました。


こんな風に真逆の二人でしたが、長いことみている内に似ているところもたくさんあることに気が付き始めました。

夫の母は普段は穏やかな人でしたが、意見を求められればハッキリ言う人でした。身重の私が大学院に行きたいと言った時には、夫である息子が同意しているならば自分も同意するといい、3年間協力してくれました。子どもの面倒も見てくれました。しかし、卒業後就職するにあたっては、フルタイムで働くことには反対でした。自分は子育ての手伝いはするが育てるのは母親の役目であり責任だから自分は責任は負えないとハッキリ断られました。保育所の無い時代、そのため私はフルタイムの仕事には就けませんでしたが、一方で、パートタイムで仕事に出かける時は短時間ならばと面倒を見てくれました。その間母は長男の幼稚園の送り迎えも次男をバギーに乗せて大変な思いをしながらきちんと果たしてくれました。

出来ること、出来ないことをハッキリ伝え、引き受けたら責任を持つ。美事でした。これによって私は責任ということについて考えさせられました。


私の母も責任感の強い人でした。輸送船で戦地に赴く前、「万が一の場合には子供を頼む。この子は小児麻痺を患った子で結婚できないことも考え、一人で生きていくために教育をつけさせて欲しい」というのが父の願いでした。母はその言葉を重く受け止め、戦後の生活の苦しい中私を大学にやってくれました。「お父ちゃんに約束したから」というのが母の何時も口にする言葉でした。「でけへん約束はしたらアカン。一旦約束したら守らなアカン」と私にも厳しく教えました。

これは夫の母と同じでした。二人は同時代人でした。

私は二人の母から責任と約束の重み。出来ないことをきちんと断る勇気を教えられました。


振り返って考えると、二人とも学ぶことに対しての憧れ(?)があったように思います。良妻賢母を求められ、大学で学ぶことなど夢だった時代に育った母たち。自分の娘、嫁が大学や大学院に行く手伝いをすることで自分の果たせなかった夢を叶えたかったのかも知れません。どちらも、私が大学や大学院で学んだことを一緒に勝手仕事をしながら聞くのが好きでした。そう思うと、託された責任の重さを感じます。


二人とも他界して久しくなりますが、私は今も二人と一緒に生きているような気持ちでいます。迷った時、決断を迫られた時、最後は何時も「これでよかったのですか?」と心の中の二人に尋ねています。

同時代に生きた二人のお母さん万歳!です。

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